• TOP
  • お知らせ
  • プレスリリース
  • JOC会長が広島?長崎の「原爆の日」平和式典に参列することの意義は 中房教授「オリンピズム推進の一環。新体制の象徴的な取り組みだ」

NEWSお知らせ

プレスリリース

2025.08.01

JOC会長が広島?長崎の「原爆の日」平和式典に参列することの意義は 中房教授「オリンピズム推進の一環。新体制の象徴的な取り組みだ」

 日本オリンピック委員会(JOC)の橋本聖子会長らが、8月に広島市と長崎市で行われる「原爆の日」の平和式典に参列することが全国各地の新聞などで報じられました。記事では、戦後80年の節目に、スポーツを通じた平和貢献という五輪の理念を改めて示すことが目的で、JOCが公式に平和式典に参加するのは過去に例がないとみられているとしています。
 JOCが被爆地を訪れることの意義などについて、オリンピックの歴史に詳しい大阪体育大学スポーツ科学部?中房敏朗教授(スポーツ史)に聞きました。



大阪体育大学はスポーツSDGsを推進しています

――JOCの発表についての感想は
 過去のオリンピックを思い出した。1964年東京オリンピック大会の開会式では、聖火リレーの最終ランナーとして、原爆投下の日に広島県で生まれた学生(坂井義則さん)が選ばれた。このことが報道されると賛否両論を呼んだが、世論の大勢は好意的な方向に向かった。当時の大会組織委員(誰もが戦争体験者だった)の中では「平和」への思いが強く、アジア初の「平和の祭典」(と当時は今以上に人口に膾炙した)の重要な場面で、あえて「原爆の子」を任用したといわれる。
 現在のJOC役員はみな戦後生まれであろうが、このたび広島?長崎の式典に参加を決定したことは、日本のオリンピックを支えた先人(大島鎌吉氏=東京オリンピック選手強化対策本部長、大阪体育大学初代副学長=も含む)の思いを引き継ぐという一面があり、その点で感慨深く思う。
 ただし、2021年にバッハIOC会長が広島へ訪問した際に橋本組織委会長も同行したにもかかわらず、日本のオリンピック関係者が被爆地に公式に訪問するまで、それから4年も費やしたことは、問題にして良いと思う。

――JOCが公式に平和式典に参加するのは初めてと見られています。戦後80年、IOC?JOCの新会長選出、国際紛争の激化などがあるこの時期にJOCが被爆地を訪れることの意義は
 「先の大戦」の記憶の風化がますます進む21世紀にあって、式典の参加者の拡大や多様化は、被爆地にとって大いに歓迎すべきことであろう。
 JOCにとって、「平和」を願う式典への参加は、オリンピック憲章(※)が定めるオリンピズムの推進の一環として位置づけられる。しかも2025年はいろいろな意味で節目の年である。すなわち⑴戦後80年という社会全体で日本の歩みを見つめ直す年であり、⑵日本被団協がノーベル平和賞を受賞した後の最初の式典である。さらに⑶JOCでは新役員体制の発足、⑷JOC第2次中期計画(※)のスタートの年ということもある。新体制で臨むJOCにとっては自己の社会的価値を表現できる絶好のタイミングであり、JOCの新しい象徴的な取り組みとして評価できるだろう。ただし式典への参加が戦後80年の今回限りなのか、今後も継続するのかは見守る必要がある。
 もちろん被爆地の式典は、平和の祈念ばかりではなく、原爆犠牲者の慰霊という宗教的意味合いや、戦争や核兵器をめぐる政治的意味合いも付随している(だからこそ政治家が参加するし、政治家が参加するからこそ政治的意味も増幅する。近年はパレスチナを招致して政治問題化した)。そのような複雑で難解な意味を負う当該行事にJOCが参加を決めたことは、ある意味で勇断であったと推察する(だからこそ戦後80年にしてようやく実現したのかもしれないし、バッハ会長の広島訪問がなければその実現はもっと遅れていたのかもしれない)。
 一方で現実の世界は混沌とし、世界の分断が進んでいる。長期化する軍事紛争、国内外の民族対立、自国優先主義の台頭、価値観の分裂などである。JOC幹部による式典参加がこのような現実を変える力は、もちろんない。とはいえ、平和を願って被爆地に集まり続ける多数の人々と、スポーツ界が連帯する姿勢を示すことには、重要な意味がある。もちろんこれはスタートであってゴールではない。19世紀末のオリンピック創設時に多くの人々が共鳴した「スポーツを通した平和」という理念に改めて思いをいたし、その理念が未来のスポーツ界により深く浸透する契機になることが期待される。
オリンピック憲章
JOC第2次中期計画

――IOCは難民選手団の結成、2018年平昌大会での南北同時行進などを実施しましたが、他の国際スポーツ大会に比べて積極的に平和に関与していると言えますか
 平和の推進に対してどれだけ積極的かは、もちろん団体によって濃淡の差がある。IOCは、他の国際スポーツ関係団体と比較すると、最も積極的に平和活動に関わってきたといえる。
 とはいえ、他団体も無関心ではない。比較的積極的なのは国際卓球連盟であろう(ピンポン外交が有名)。テニス(女子テニス協会など)もかねて多様性を推進し、ロシア?ウクライナ戦争後もロシア選手の参加を容認している。サッカー(FIFA)も「平和のために団結しよう」「平和のための握手」などの国際的な活動を推進している。
 スポーツを通じた平和や開発をめざす非政府組織(NGO)も多数ある。南アフリカのスコア、インドのマジックバス、キッキング?エイズ?アウト?ネットワークなどである。スイス開発アカデミーが「スポーツと開発」を目的として運営するネット上のプラットフォームには、2018年の時点で180か国にまたがる975の団体が登録されている。イギリスのNGO「ピース?ワン?デイ」のプロジェクトには、アディダスやプーマといった企業も2008年から加わった。
 IOCが「オリンピック休戦」(古代オリンピックの休戦協定「エケケイリア」のこと)の復活を議論し始めたのは、第二次大戦後の1950年代からである。しかし実際に「オリンピック休戦」の具体的活動が始まったのは1990年代であった。ユーゴスラビア崩壊に伴う内戦が拡大し、オリンピックの運営にも影響を与えたことが背景にあった。その後、国連やユニセフなどの国際機関とも連携を深めながら、より積極的に平和の推進に取り組んでいる。

?IOCによる平和推進の取り組み
   1992年 IOCが「オリンピック休戦」を復活
   1994年 IOC派遣団がサラエボを訪問
   1998年 IOC派遣団がイラクを訪問
   1999年 国連でオリンピック休戦を採択
   2000年 韓国と北朝鮮が統一旗で入場
   2000年 国際オリンピック休戦財団と国際オリンピック休戦センターを設立
   2002年 オリンピック休戦のための署名運動
   2009年 第1回国際スポーツ?平和?開発フォーラムの開催
   2009年 「スポーツ?フォア?ホープ?プログラム」の開始
   2016年 難民選手団の結成
   2018年 平昌五輪でコリア統一チームの実現
参考

和田浩一「フランス」in『スポーツの世界史』
中房敏朗「グローバルスポーツへの展開」in『スポーツの世界史』

――国際的な紛争が多数発生している状況下でIOC、さらにJOCがスポーツを通じた平和貢献に取り組むことの意義は
 先にも述べたが、歴史上スポーツが紛争解決に繋がった例はほとんどない。国際試合は20世紀の初めから、国際親善だけではなく、国際的な敵愾心も同時に煽ってきた。競技力向上はスポーツの発展にとって不可欠であるが、国家の威信や国益と結びつく要素もあり、それゆえナショナリズムを招くというジレンマもある。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻してから1年後、IOCは「五輪は戦争や紛争を防ぐことはできない。全ての政治的、社会的課題に対処することもできない。これは政治の領域だ」との立場を表明した。ただし、それに続けて「五輪は誰もが同じルールと互いを尊重する世界の模範を示すことができる」とも強調した。
 ここが重要だと思う。現実は思うように変えられない。だからと言って、そこで立ちすくむのではなく、それでも模範となる考えや行動を絶やさずに、これからも示し続けようと誠実に堅実に努力を重ねることに、人類にとって崇高な意義がある。それはIOCであろうが、JOCであろうが、変わらない。本学の初代副学長、大島鎌吉氏もその理念に共鳴したからこそ、オリンピックやスポーツに深く関わったのである。

――今後もJOCはスポーツを通じた平和貢献に積極的に取り組むべきか
 そもそもJOCはIOCのオリンピック憲章に基づいて設置された機関であり、そのオリンピック憲章が平和の推進を「根本原則」の1つとして謳っている限り、JOCが平和活動を推進しないという選択はありえない。

――学生を含むアスリートは、スポーツを通じた平和貢献の必要性を認識しておくべきか
 JOCは2025年3月に第2次中期計画(※)を発表し、その中でアスリートが自らオリンピズムを学ぶことを目指すとした。学ぶべきオリンピズムには当然「平和の推進」も含まれる。したがって、学生であるか否かにかかわらず、またオリンピアンであるか否かにかかわらず、アスリートである限り、平和推進を含むオリンピズムについて自ら学び、その取り組みの重要性を理解して行動することが望まれる。

JOC第2次中期計画

中房敏朗(なかふさ?としろう)
 大阪体育大学学長補佐、スポーツ科学部教授、図書館長。専門はスポーツ史。スポーツ史学会理事長。共著にスポーツの世界史(一色出版)、東京オリンピック1964の遺産(青弓社)など。

▲